「朝鮮労働党万歳!」平壌本部
http://wsdprk.blogspot.com/に移転しました

ブログトップ  

カテゴリ
全体
朝鮮音楽
その他音楽
朝鮮
総聯・在日同胞
南朝鮮
日本
世界
北朝鮮用語の基礎知識
未分類
以前の記事
2010年 01月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
more...
倉庫
  • mediafire
    upした朝鮮音楽mp3
  • モガディシュ支部
    朝鮮のうた第34集「行事音楽曲集」のmp3あり。
  • 仮設川崎支部
    何もない
  • 検索
    タグ
    その他のジャンル
    ファン
    記事ランキング
    ブログジャンル
    画像一覧
     
     ● 

    <   2007年 06月 ( 10 )   > この月の画像一覧

     ● 

    金日成のパレード

    金日成のパレード」という映画がある。1988年の共和国創建40周年記念式典に招待されたポーランドの国営ポルテル社の取材を元に制作されたドキュメンタリーである。
    a0072616_21304266.jpg
    私は中学一年と中学二年の間の春休みに友人と二人で初めてこの「金日成のパレード」を観た。どこで観たかというと、学校の近くの市立図書館。その図書館は所蔵されているビデオを借りなくても受付に持っていけばその場で観ることができたので、二人並んで90分間画面に見入ったわけだ。

    内容はというと、建国40周年記念式典の映像を中心に北朝鮮の様子を淡々と映し出したもので、上の画像の但し書きにもあるように全て「朝鮮民主主義人民共和国の案内によって撮影し、すべて同国から提供された資料にもとづいて製作したもので、日本語版においても一切のフィクション、コメントは加えられて」いない。すなわち北朝鮮当局が映してほしいもの、北朝鮮の「光と影」のうち「光」の方しか映されていないわけだ。それも、制作者側によるコメントを一切加えず。にも関わらず北朝鮮の「影」の面まで見えてくるという、まさに「ドキュメンタリーの鑑」と称するに値する素晴らしい作品なのだ。

    また意外と見落としがちだが(?)、この映画の凄いのは、パレード映像以外の場面にポーランドの制作者側が入れたBGMまで全て朝鮮音楽で固められているという点である。a0072616_21305992.jpg
    それで、まあ中学二年の私は「金日成のパレード」に深く感銘を受け、その後体育の授業中に二人で「キム、イル、ソン、ニム、マンセー!マンセー!」と叫びながらグラウンドを走ったりしていたわけだ。

    当時私はその図書館がある市から離れたところに住んでいたため貸出券を持っていなかった。しかし今月、わけあって貸出券を所有するに至った。そこで再びその図書館のビデオコーナーを覗いてみると、なんと「金日成のパレード」のビデオがまだあった!早速借りて帰り、自宅のテレビで鑑賞した。まあ、こうしてあの日の「キム、イル、ソン、ニム、マンセー!」とめでたく再会することができたわけだ。

    というわけで、「金日成のパレード」は素晴らしいドキュメンタリー映画なので是非とも観るべきだ。最近はDVD版も発売されているようだし。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-30 22:31 | 朝鮮
     ● 

    決戦の途へ

    うpしたまんまこっちに書くの忘れてたニダ
    • 決戦の途へ
      国立交響楽団による「決戦の途へ」のピアノ協奏曲版。国立交響楽団第9集より。

    • 決戦の途へ
      演奏のみ。ワンジェサン軽音楽団第3集。

    a0072616_142871.jpg
    大田解放後、進撃を続ける朝鮮人民軍機械化部隊(『朝鮮画報』より)

    行こう、同務よ 決戦の途へ!
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-30 14:27 | 朝鮮音楽
     ● 

    ユギオ

    本日6月25日は祖国解放戦争(日本で言う朝鮮戦争)が南朝鮮傀儡軍の北侵により勃発した日だ。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-25 20:09 | 朝鮮
     ● 

    同務よ軍隊に行こう

    同務よ軍隊に行こう
    同務よ軍隊に行こう 歌詞日本語訳

    労働党の懐に 学生時代を終えて
    夢多き我らの 行き先は多くとも
    行こう 軍隊へ 祖国の為に
    行こう 私を育てた 党の為に

    軍服を着たその日に 最初の写真を撮って
    先生とお母さんに 送って差し上げよう
    隊列を合わせて 歌を歌おう
    行こう 私を育てた 党の為に

    後輩達が 我らの青春時代のことを問えば
    汗の滲んだ 兵士時代の軍服を見せよう
    行こう 軍隊へ 祖国の為に
    統一の広場まで 高足で前へ

    行こう 軍隊へ 祖国の為に
    統一の広場まで 高足で前へ
    というわけだ。見事轟沈した敵艦を~ 母へ写真で送りたい~a0072616_2312654.jpg
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-24 22:51 | 朝鮮音楽
     ● 

    ATOK

    ATOKを黒く染め上げる辞書ファイル黒くひ単R

    いいねえ。MS-IMEでも使えるようだし。

    ウリも対抗してATOKを赤く染め上げる辞書ファイル(というかチョソン用語集)を制作しようかなあ。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-19 22:51 | 日本
     ● 

    朝銀

    総連に627億債務返済命令 東京地裁判決 仮執行も認める(東京新聞)

    ううん。こんな時代もあったわけだが↓。共和信用組合というのは後の朝銀兵庫信用組合→朝銀近畿信用組合である。a0072616_17291061.jpg
    『朝鮮画報』1965年7月号より


    ところでこのアホサイトも始めてから今月で一年だ。最初は真面目に続ける気など無かったのに一年続いてしまった。ちなみにこの「朝鮮労働党万歳!」とかいうふざけたタイトルは、私がこのブログを立ち上げたとき頭の中で考えていたことを漢字六文字+感嘆符で表現したらたまたまそうなってしまっただけであり、政治的な意図は皆無だでね、たぶん~

    更新の頻度が低下しているように見えるが、それは目の錯覚だ。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-18 17:32 | 朝鮮
     ● 

    チュチェは我らの勝利

    チュチェは我らの勝利
    チュチェは我らの勝利 歌詞日本語訳

    夢の中に描いたこの楽園
    どこから湧き起こったか
    羨むもののない今日の我らの幸福
    どのように花開いたか
    我らは語る 社会主義勝利の秘訣は
    チュチェ チュチェ
    ただチュチェだと

    狂風にも揺らぐことなく
    我らは前進する
    世界中が驚嘆の眼差しで
    我が祖国を見る
    我らは語る 社会主義勝利の秘訣は
    チュチェ チュチェ
    ただチュチェだと

    この道の上に 明るい未来も
    限りない繁栄もあって
    党に従い 我々式で
    最後まで行こう
    我らは語る 社会主義勝利の秘訣は
    チュチェ チュチェ
    ただチュチェだと

    チュチェ チュチェ
    チュチェは我らの勝利!

    [PR]
    by vchangun | 2007-06-09 22:09 | 朝鮮音楽
     ● 

    あああああ

    日本ではこの時期になると「ゴールデンウィークが終わると7月16日の海の日まで祝日がない!」ことを嘆いている人がよくいるが、チョソンでも5月1日のメーデーを過ぎると7月27日の祖国解放戦争勝利記念日まで祝日が無いんだよなあ。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-07 18:38 | 朝鮮
     ● 

    国歌「愛国歌」新たに編曲される

    先月30日発の30日朝鮮中央通信によれば、朝鮮民主主義人民共和国の国歌である「愛国歌」が新たに編曲されたそうだ。
    朝鮮民主主義人民共和国国歌 新たに編曲

    (平壌 5月30日発朝鮮中央通信)最近、朝鮮民主主義人民共和国国歌である「愛国歌」が新たに編曲された。

    朝鮮中央通信社は世界の全ての国々が朝鮮民主主義人民共和国国歌を利用する助けとなるよう、「愛国歌」総譜と音楽ファイルを提供する。

     総譜(pdf)  音声ファイル(mp3)

    朝鮮通信
    それで、具体的に今までと何が変わったのかというと、
    北朝鮮、国歌を新たに編曲

     北朝鮮の国営朝鮮中央通信は30日、1947年に創作された同国の国歌「愛国歌」がこのほど新たに編曲されたと報じ、楽譜と音楽ファイルを配信した。

     約1分半の音楽ファイルに収録された「愛国歌」は、従来のものよりテンポが緩やかで、管弦楽による高音と低音のコントラストが強調された印象を与える。(共同)

    (2007/05/30 20:23)

    産経Web
    というわけだ。

    参考までに、これが従来の「愛国歌」。(朝鮮のうた第34集「行事音楽曲集」)

    聴いてみると確かに「従来のものよりテンポが緩やかで、管弦楽による高音と低音のコントラストが強調された印象を与える」ようだが、この期に及んで何を意図して「新たに編曲」したのだろうか?NHKでは、ラジオ放送にテレビ用とは別の高音中心の「君が代」を使っている(参考:ラジオoggテレビYouTube)。受信状況が悪くてもしっかし聞こえるようにとの配慮だろうが、「愛国歌」もこれを狙ったのだろうか?チョソンの声放送の愛国歌は昨年11月以来変更された様子はないが。

    (おまけ)pdfが嫌いな人のために、総譜をpngにした
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-04 18:38 | 朝鮮音楽
     ● 

    自由民主党・團伊玖磨・金永吉

    やあおはよう。今日はまず自由民主党党歌「われら」を紹介しよう。去年私は自由民主党本部内の売店「自民党サービスセンター」で「自由民主党手帳」を買って愛用していたのだが、そこに党歌「われら」が載っていた。(画像クリックで拡大a0072616_15322470.jpg

    ここ(自由民主党ホームページ)にも楽譜と歌詞が載っていて、音声ファイルも置いてある。聴いてみるとなかなか良い歌だが音質が悪いな。CD化されていないのだろうか?件の自民党サービスセンターではそれらしきものは見かけなかったが。

    「自由民主党手帳」には党歌「われら」以外にも「大地の息吹」(党青年部の歌)と「花のいのちを」(党女性局の歌)も載っている。(画像クリックで拡大
    a0072616_22244745.jpg
    a0072616_22252081.jpg
    画像にあるとおり、この「花のいのちを」(党女性局の歌)の作詞作曲は團伊玖磨によるものだ。團伊玖磨と言えば、昭和34(1959)年の天皇皇后両陛下御成婚を祝って「祝典行進曲」を作曲し献上したことで知られる日本を代表する作曲家である。平成5年の皇太子殿下御成婚の際にも「新・祝典行進曲」を作曲している。(画像クリックで拡大a0072616_22355614.jpg
    それでこの團伊玖磨だが、意外なことに『朝鮮画報』1967年5月号に登場している。その一部を紹介しよう。a0072616_2246048.jpg
    a0072616_22463461.jpg  ぼくは、朝鮮の友達が多いんです。音楽家ですから・・・・・・
     高峰 昔の永田紘次郎(金永吉)さんなんか・・・・・ いま、どうしていられますか?
      帰国して、いま北におられるんですね。ぼくは軍楽隊で一緒になった。彼が軍曹でぼくは上等兵。でも、あの人だけだったんだ、人をなぐらなかったのは。怒らないんですよ。人格高潔な方です。北朝鮮へ帰られてよかったですね。
     藤島 いま、確か功勲俳優ですよ。・・・・・・じゃあ、金さんと一緒に食べたわけ?朝鮮料理は?
      それもある。とにかくぼくは朝鮮料理が大好きなんです。毎日のように食べる。これがないと死んじゃうな(笑い)。
     高峰 あたしも好きよ(笑い)。
      で、そのことを雑誌に書いたら、朝鮮料理の組合長から電話がかかってきて、そんなに好きだったらゴチソウしてあげるから来いというんで(笑い)・・・・・・。また友達が増えました。

    というわけだ。ううん、團伊玖磨は永田絃次郎について「北朝鮮へ帰られてよかったですね」などと言っているが、永田が帰国後にどうなったか知っているのだろうか?まあ知っているはずがないと言えば知っているはずがないのだが、日本一の美声と称えられた永田が帰国後あちらの公式メディア等にも登場せず、「オペラを通じて両国民の理解と友好を深めたいと思います」と語っていたのに一向に音沙汰がないことにについて、何かおかしいと思わなかったのだろうか?
    ■4.「オペラを通じて両国民の理解と友好を深めたい」■

     帰国者の中には、日本で成功して、自分の技術や財産で祖国の建設に尽くしたいと志す人々も少なくなかった。その中に当時日本一の美声と言われたテナー歌手金永吉(永田絃次郎)がいた。金永吉は昭和35(1960)年1月、日本人の夫人と4人の子供を連れて、帰国船のタラップからお別れに「オーソレミ」を歌って、祖国に捧げた。出発直前に、「新潟日報」の記者によるインタビューでは金永吉はこう語った。

    " 妻は日本人ですが、4人の子供とともに同行してくれることになりました。一番上の子は、上野学園大のピアノ科3年生ですが、平壌に国立音楽大学があるから心配ありません。

     両国のオペラが自由に交流できる時期は1,2年後に来ると思います。・・・オペラを通じて両国民の理解と友好を深めたいと思います。"

     金永吉の帰国は総連が直接、説得したものだったという。オペラ歌手まで帰国するという宣伝効果を狙ったのだろう。

    ■5.消えた5人家族■

     金永吉は、帰国後、平壌で高級住宅と乗用車をあてがわれ、「功勲俳優」の称号を与えられた。しかし、帰国の2ヶ月後、平壌での「金永吉帰国独唱会」で早くも一悶着が起こった。党から革命歌20曲を歌うことを要求され、金永吉はこれを拒絶。さらに生活費のために出演料を党に求めた所、「ブルジョア根性」と非難された。

     やがて金永吉は地方都市の海州市に追放され、そこで大阪からの帰国者が生活苦を訴えたために、どこかに連行され、さらにその日本人妻が服毒自殺を遂げる、という事件を知って、党に抗議をする決心を固める。金永吉を先頭に約30数名の帰国者が平壌の党中央本部に抗議に押しかけた所、全員が逮捕されてしまい、金永吉はそのまま消息を絶った。

     続いて平壌音楽大学に在学していた長女は退学処分となり、しばらく平壌芸術劇場で切符売りをしていたが、やがてどこかに連行された。ついで、夫人、次女(18歳)、三女(13歳)、長男(16歳)と一人ずつ連行されて、ついには家族全員が姿を消した。

     90年以降、北朝鮮からの脱出者が急増して、帰国者たちの消息も少しずつ分かってきた。平壌市内にある勝湖里収容所で10年間収容されていた黄龍水が、91年に中国に脱出して、その証言から、金永吉が60年代の中頃から、同じ収容所の別の棟にいた事が判明した。四半世紀も、収容所暮らしを続けていた事になる。

    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog271.html より転載


    *スキャナーを動かしたついでに、「我らの誇り、限りなし」のページに韓徳銖議長の写真を貼っておいた。
    [PR]
    by vchangun | 2007-06-03 23:25 | その他音楽